忍者ブログ
概ね日付が変わる頃書いているので昨日と今日の境目がおかしい。幕末と人形と文学的な何かを愛している。
[269]  [268]  [267]  [266]  [265]  [264]  [263]  [262]  [261]  [260]  [259
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『贈友談話』のお話。

正確に言うと、相馬さんの名前の変遷(と年齢)のお話。

『贈友談話』によると、彼は天保十四年(又は弘化三年)生まれ。
……自分で自分の年齢があっちこっちしてるのはつっこむべきところなんでしょうか……「寅か齢僅に弐拾六なり」っていう記述(新島に流された頃、明治四年くらい)と「二十七年」って記述(牢屋にいたころの話で時代的にはこっちのが前、明治二年位か)があるんですけど……文末の「二十八」に関しては「弐拾六」と書かれている時からちゃんと二年経ってるので、別に構わない気がする。……それとも「二十七」って言うのは漢詩中の話ですから、なんか別の意味があるんでしょうか。二箇所で書いてある「天保十四年説」の方が強そうですね。そうなると一さんなんかより一個年上……年上……まあ考えてると頭痛くなるので年齢考は置いておくとして。

生まれたのは笠間藩。大名牧野家家臣船橋平八郎の子として生まれる。……これは、江戸詰めではなくて、笠間の方で生まれて育ったんですかねぇ……というわけで、一番最初の名前が「船橋太郎」。そして慶応元年(だと思う、多分)に脱藩して、何故か伊予松山藩へ向かいます。原田左之助の故郷ですね。そこで藩士の竹内某に使えて、第二次征長に参加……とは言っても前線には行ってないみたいですが。部下が三十人くらいいる「士司」という役職についています。天保十四年生まれだと二十二、弘化三年だとなんとびっくり十九才です。わお、年下! ……まあいいです。この頃、から「相馬主計」を名乗り始めているようです。新選組入ってから、じゃなかったんですね……その新選組への入隊はどうも慶応三年ころ、という説が有力です。少なくとも油小路には参戦している様子。「再還」とか「帰京」とか書いてあるので、もしかしたら松山に行く前に京都にはいたのかなぁ……という感じがします。そんで、時は流れて箱館へ。(早いな)
箱館には他に「主計」さんが他に二人もいたのでややこしいので「主殿」になりました(意訳)とあります。……そんなにややこしかったのか、とは思うのですが僕の苗字もかなりよくある苗字なのでその気持ちは判る。ただ、ここで思うのは下の名前なのにそんな不便を感じていたのか、ということです。もしかして、案外皆普通に名前で呼び合ったりしてた?いやまさか、そんなはずないよ、と思いつつ……それはそれで楽しいなぁ、と思うわけです。まあ、でも少なくとも同世代くらいの人たちなんかは名前で呼んでいたんだろうなぁ……
あと諱の方も「胤寅」から「胤貫」へ変わっているのかな。そんな記述が解説文にあったけれども、それなら文中で自分の事を「寅」とか言わないような気がする。
と、まあそんな感じで大雑把に分けて笠間時代(子ども時代って言っても良いかもね)が「船橋太郎」さん、脱藩してから新選組社中においてが「相馬主計」さん、箱館以降が「相馬主殿」さんになる、と。
そう、つらつら追っていって僕は思ったわけです。
「ちょっとまて「肇」はどこに消えた?」
と。
まあ、それだけと言えばそれだけなんですけれども。
というか、そもこの「肇」の名はどっから出てきたんでしょうね……謎だぁ……この人謎だぁ……
この手記もねぇ……反省の色が強くて、なんか益々もって只管ネガティブな人のイメージが……あ、あと笠間を後にした時の句が二つ、載っていましたね。全部カタカナでちょっと意味判らない、という部分があるのですが……
「キミトチゝ、ワカルオモヒハ、ユメタニモ、ナキヨノナラヘ、モノゝフノミチ」
「イザヨシヤ、タレシラナミト、ヒクシホニ、ナガレテイカデ、カナカワノヘニ」
……また海だぁ……
じゃなくって。
「カナカワノヘニ」ってなんなんでしょうね。ちなみに「ヘニ」のところは「ヘニ」と書く前に一度「オモ」と書いてあって斜線で引っ張って消して「ヘニ」にしてあります。「ユメタニモ」のところも「ナキモノオ」に線引っ張って「ユメタニモ」にしてあります。この「ユメタニモ」もちょっと意味がよく判らないのです。「ナキモノオ」だったらちょっと判る気がするんだけど……と言うか、なんだってまた書き直したのか……
やっぱり句だの漢詩だの、もうちょっと勉強しておけばよかったですかねぇ……知識って、どんなところで役に立つか判らない。(そりゃあね)

と、まあそんな感じでじびじび読んだ『贈友談話』の感想、みたいな……あはは。しかしこの史料もどれほど信憑性があるのか、というかやっぱり気になるのはどっから出てきたのか、って話ですね。ほんとに、どっから出てきたんだろう……なんというか、「他言無用」と言い残して死ぬような人が書くような物でもないような気がするし……とはいえ「寅談意して曰く」とか書かれると、なんか可愛らしいような気がしてどうしようもないし……ちなみに最後の一文「身に一疵無し」って言うのは自負のようなものっていうよりも自嘲よりな感じはする。だって宮古湾のところで「鎗疵被り」ってばっちし書いてるもん。それなのに「身に一疵無し」って言うのはやっぱり「三十三も戦に参加したっていうのに、疵一つも残らないで生き残ってしまったよ」みたいな、こう自嘲的響きを想像せずにはいられないんですけど……どう、でしょう。どうだろう、ね。
カズヌーヴさん(だったよね……)が「カツノブ」さんになってしまうそのセンスにもシャッポ置きたいですが。

未だに謎多き人な相馬さん。
でも、最近の僕の興味は春日さんの生まれ年とか、利三郎さんの出自とかに浮気気味です。春日さんはそんなにめっちゃ若かった、というわけでもなさそうだけどそんなに年でもないと思う……利三郎さんは美濃国旗本加藤平内領出身で「嘉市」さんって人だって書いてあるけど(うぃきに)それはどっから出てきた話?
調べ物は尽きない……調べてるうちが、楽しい……

……無印で売ってたずんだクッキーなるものを食べました。店頭で見かけたとき、ちょっと星隊長のことを思い出してうっかり買ってしまったです……甘いんだけど、ちょっとしょっぱくて美味でした。あんまずんだっぽい感じはしなかったですけれども……伊庭さんとか、こういう微妙な和洋折衷の菓子とか好きだと思います……菓子じゃなかったら、土方さんもなんとなくこういうチャレンジブルな新商品みたいなものって好きそうです……久保ちゃんみたく、好きなものはコンビニの新製品とか、いいそうじゃないですか、あの人……現代に生きてたら、絶対そういう不可思議な食べ物好きだよ、この人……

拍手

PR
この記事へのコメント
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

secret(※チェックを入れると管理者へのみの表示となります。)
しゅーちゃんは、 
しゅーちゃんは、想像した。
BlogPetのしゅーちゃん URL 2008/06/04(Wed)08:41:30 EDIT
この記事へのトラックバック
TrackbackURL:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
ブログ内検索
最新CM
[01/15 ラフェア]
[12/08 BlogPetのしゅーちゃん]
[12/01 BlogPetのしゅーちゃん]
[11/30 ジョージ]
[11/29 ジョージ]
最新TB
プロフィール
HN:
Ruin.duin.
性別:
非公開
自己紹介:

バーコード
Twitter
Copyright © dAy of Rd All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Material by ラッチェ Template by Kaie
忍者ブログ [PR]