こっからが本番。(えー)
佐助が戦闘中に「ま、これっくらいはねー」というとどうしても「お弁当箱にー」と続けたくなる。
何と言うか「これっくらい」の言い方がどうしても「おべんとばこに」と続けたくなる節回しなのだ。
DVDの返却期限が迫っているので気合を入れ直して見ることにする。
そう言えば、本放送のときもものっそいうだうだいいながら結局観てた、ような気がする。時間通りにお話が進んでるからね、ああそろそろだな、って言うのを感じながらね、怖れながらね。
割合前半戦、試衛館時代のお話が長くて、その時間が凄く幸せだったから、時間経っちゃうの怖かったなぁ……って。
そして直ぐに寺田屋大騒動ではテンション的に辛いのでとりあえず木刀をぶんまわしてリフレッシュ。(ぇ)
力任せに素振りをしたらてんじょこにぶつけてしまって怒られる。外でやったら寒かった(当然裸足)。そして左腕が筋肉痛。
いろいろ耐え切れなくなって、いっぱいいっぱいになっちゃったって感じでうわぁっと泣いちゃう土方さんが割と好きだ。
「俺の所為だ」ってうじうじする一さんはなんかこう背中を殴りたくなるくらい心底可愛い。話として全然でてこないんだけど、この人がどんな風に時尾さんと出会って、結婚して、斗南を乗り切って、警察とかで働いて、西南戦争に参加して、とどのつまりどんな風に年をとっていくのかが凄く気になる。
そう言えば大河の一さんは気がつくとよく眠っているけれども。
あの時折変に遺憾なく発揮されまくっている天然っぷりから察するに、山南さんがいなくなる時も寝てたんじゃないか、というのに一票。目、開けたまま寝ることあるって土方さん言ってたしね。だから何も観てない、も何も何を観たのかよく判ってなかったんじゃないかな。でも、なんとなくそう言ったほうが安心できそうな雰囲気だから言ってみた、とか。それまでさしたる仲良さそうなやりとりもなかったのに、切腹のシーンでなんかこうものすごく辛そうな顔をしているのが妙に印象的だった。
こう、誰かが死ぬたびに、その誰かだけではなくてそこにいる全員がもういない、と思い知らされているようで。物語的にその誰かがいなくなるのは凄く悲しくて、それによってもう誰もいないことを思い知らされるのは寂しくて。それでもやっぱり皆大好きだから観たり読んだりしてしまうわけで。
こういうのがカタルシスというものか、と思ったりしています。
借りてきたのは後一枚。
がんばろう。
(なんかこう内容以前にそろそろ画面の前に座って大人しくドラマを観ている、という状況に耐えられなくなってる。あたしが)
……でも、陰陽師観たい。
(また突然だな)
アレは、なんか最早サザエさん的世界に突入している節があるので、安心して観ていられる。
木曜ドラマの鞍馬天狗観たら、新選組が悪役って言うか敵で、なんだかちょっと新鮮だった、ある意味。
「我が母は狐であるそうな(にやっ)」
が観たいのです。
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